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ユーザー・インタビュー

レコーディング・エンジニア 古賀健一


Official髭男dism、ASIAN KUNG-FU GENERATION、ichikoroなど、古賀健一氏自身がデザインする最新のドルビー・アトモス対応スタジオに、スピーカー・インシュレーター、POWERCELL(パワーセル)が採用されています。精密さが要求されるこのモニタリング環境にMOOF社(モーフ)の制振技術は、どのような効果をもたらしたのか。話題のドルビー・アトモス・スタジオの制作秘話とスタジオにおける製品の魅力について伺いました。



──どのような経緯でスタジオを作りましたか?

一軒家は、一度作っただけでは理想の家にならない。3回くらい建てると思い通りの家になると言います。 スタジオも3回くらい作ったら理想のスタジオになるんじゃないかと思い立ち、自分にとってここは2回目のスタジオになります。2回目としながらも、最初のスタジオを作ってからこれまで6軒ほど、友人のスタジオの改修や、ゼロから建てるところの手伝いを行ってきました。磯貝サイモンさんのスタジオ、origami PRODUCTIONS所属のドラマー、mabanuaさんのスタジオ、渋谷のVersion Studio、その他友人達のスタジオ改修に携わらせていただいて、特にmabanuaさんのスタジオでは一緒にやりたいことを色々試すことができて、良い結果を得ることもできました。

一昨年前、Version Studioを作ったときにようやくスタジオ施工会社の方々と最低限、専門的、建築用語的にも話ができるようになり、またロスアンゼルスでトニー・マセラッティに会う機会にも恵まれました。向こうのスタジオがどうできているのか、その造りや鳴りはどうなっているのかも実際に見ることができたところで、自分が考える良いスタジオというビジョンが見えてきました。それらを踏まえて、自分のスタジオを実験台にして実際に作ってみよう、より深いところまでトライしてみようと大がかりな改修を行うことを決めました。それが2019年の6月のことです。

他の人のスタジオではできないようなことも、自分のスタジオでなら試すことができる。商業スタジオではできないようなアイディアを人のスタジオで試してミスを起こす訳にはいきませんし、人のスタジオで試すのも失礼な話です。それに自分で身を呈してやらないと説得力もありません。だから自分が納得できるまでやろうと大工が10時間いたら、僕も10時間いて、ネジ一本までここに打ってください、柱を追加してくださいと、その場で音や振動を聴きながら造っていきました。見に見えない壁の裏まで自分がイメージしたものとの答え合わせを行いながら、またその先がないかを確認しながら造っていったのがこのスタジオなんです。





──ドルビー・アトモスのスタジオを作ろうという動機ではないんですね?

当初、僕が知っていたのはステレオとサラウンドまでで、アトモスのスタジオとして繋がるのはもっと後のことです。2019年7月に、映画のダビングで音楽に時間を掛けさせていただく機会がありました。この案件は非常に予算と時間が限られていて、外のスタジオでサラウンド・ミックスのチェックを行ことも厳しく、普段使っている音響ハウスやサウンドインを使わない代わりに自分のスタジオに組んだ5.2サラウンド・システムでミックスした音楽を映画のダビング・ステージで調整する時間を取らせてほしい、と提案しました。通常は音楽のサラウンド・ミックスを納品したらそれ以降に関わることは少ないそうですが、音楽スタジオで作ったミックスとダビング・ステージの間でおきるサウンドのズレに違和感を感じていたので、その差を埋めることをしたかったんです。実際は、自分のスタジオからダビング・ステージに直接ミックスを持って行くのはあまりに怖いので事前に自腹で外部スタジオを借りてミックス・チェックは済ませておきました。それでも実際にダビング・ステージで調整をしてみるとまだまだ追い込める余地があった。もともと自分のスタジオは長方形型で、110度、120度の角度を持ったサイドを創るのには容積と広さが足りません。この一件で、次のスタジオではもっとサラウンド・ミックスを追い込める環境にしたいという思いがあったので、サイドにも余裕のある7.1のサラウンドを組むプランを進めていました。販売店でそのシステムの相談をしていたら、だったらアトモスでやればよいじゃないですか。アトモスであればサラウンドは後でどうとでもできますよ・・・と、言われました。当時の僕はポカンとしましたが(笑)

アトモス仕様にすることを決めたのは、ロサンゼルスに行った後の11月、INTERBEEのカンファレンスに参加してからです。周りは皆、放送業界の人達で僕とアシスタントの(中村)涼真だけが音楽業界の人間でした。ドルビー・アトモス・レンダラーが発表されていたので、なんとなくドルビー・アトモスができるぞという機運こそあったものの、僕らには正直まったくわからなかったし、実際のところ全然話についていけなかった。ロスアンゼルスに行ったときにも同じような感覚があったんですが、そうやって日本の音楽エンジニアは音響技術の発展から何か取り残されているんじゃないかと思わされることが続いていたんです。カンファレンスにはネット・フリックスの人も来ていて、日本には素晴らしい文化があります、アニメ、映画もあります、最新のコンテンツを提供してほしいという話もしていて、涼真にドルビー・アトモスやりたいかと聞いてみたら、やりたいという。自分よりひとまわり下の若いエンジニアがやりたいというのであれば、30代半ばのチャレンジすべき世代がそれを止めるわけにもいかない。ひとつやってみるかと、そこで進めていた見積を全部ドルビー・アトモス仕様に変更しました。

理想のスタジオを造ることとドルビー・アトモスは別のベクトルのはずでしたけど、変えました。7.1.4の日本語のガイドラインが届くと、進めていた5.1.2の仕様ではネット・フリックスにも対応できない。全然ダメだと見積を返すとアトモスを設備するための機材があまりに高く、どんどん見積金額が上がっていきました。これは相当な覚悟を持ってやらないとダメだなと11月にはこのプロジェクトのために新たな会社を作りましたが、アトモスの機材の為だけに2000万円借りてもまだ足りず(笑)、予定していたレコーディング・ブースに着手できないままこのコントロール・ルームが完成して、ひとまず仕事ができるところに落ち着いたところです。





──ステレオのエンジニアの立場から、足を踏み出してみて景色は変わりましたか?

変わりました。脳内が音を360度の半球体で捉えられるようになってきました。耳が覚醒して音が立体的に聞こえるようになった感じがあります。これまで青葉台スタジオにいたころから数えると10年くらいずっと、ステレオの音像の中でどうやって上下のレンジを立体的に表現するのかを課題にしていて、これに関係する低音に関しては、スタジオのモニター環境の改善に徹底的に取り組むことで、ようやくそれまで聞こえていなかった、正確には聞こえていない訳ではなかったけど濁っている鮮度の悪い低音を聞いていたことに気がつくことができた。スタジオ造りに興味を持ち出したのも、音の「質」を知らないと現代の音像は創れないことを感じたからです。新しい基準として音楽に入ってきたラウドネス・ノーマライゼーションやKフィルター、昔習ったものとは異なるVUの振らせ方が全てドルビー・アトモスと繋がってようやく理解できるようになったんです。


──「Official髭男dism」のドルビー・アトモス作品は、どのように実現しましたか?

細かい技術的なことはもちろんアーティスト側は知らないですが、スタジオの構想と合わせて長い時間をかけて理解を得て、2020年11月の「Official髭男dism ONLINE LIVE 2020 - Arena Travelers」の時に自然とやってみようとなりました。バンドのメンバー達は新しいことにとても興味があるし、音楽性も幅広い。彼らはライブになると編成も多く、それまでもステレオ・ミックスでは表現が難しいと僕も感じていました。100chを超える音をステレオに収めていくには、強引にEQして、加工していかないと収まらないんですが、その場にいればもっとたくさんの音が自然に聴こえてきます。立体音響と言っても決して音をぐるぐる回すようなギミック的なことをやりたかった訳ではなく、この体験をどうにかそのまま鳴らし、伝えたいという思いがありました。オンライン・ライブをBlu-rayにする話が上がってきた際に、無観客ライブとなればマイキングを自由に行うことができるし、コロナ禍でライブに来たくても来れないファンに体験を届けるものとしてもアトモス作品になる意味が大きい。どうなるか全てが決まっていた訳ではありませんでしたが将来的なリリースに対応できるようにレコーディングしておこうと準備を進めました。「Official髭男dism」のドルビー・アトモス作品がリリースされることになれば、期待もされるし変なものを作る訳にもいきませんから、収録には純度高い音響空間を確保できる「Abendrot」のマスター・クロックを PAとレコーディング・システムにいれて、考えられる最良のマイキングを仕込んで臨みました。





──実際にやってみたアトモスのミックスやその反応はいかがでしたか?

まず、何よりメンバーや主要のスタッフ達が喜んでくれました。まず自分たちで感動したし、みんなでこれを広げていきたい、ファンにも伝えていきたいと思うようになりました。ライブの終始を全てわかっていている今でも鳥肌が立つシーンがあるんです。音楽のミックスは、まず自分がグッとくるまで音を創っていくんですが、それでもエンジニアを続けていくと量産型じゃないですけど、どこかその感覚を忘れていってしまうところがあります。この作品では、昔、自分が音楽に感動したその感覚、音楽エンジニアになろうと思った時の初期衝動を思い出させてくれました。映像がどんどん綺麗になって発展していく中、圧縮を強いられるオーディオが合わせて発展しているとは言いづらい状況がありますが、この新しい立体音響は音楽表現を圧倒的に自由にするし、音楽エンジニアの感性と技術で向き合える可能性がたくさんあると思っています。


──こちらのスタジオに導入された「POWERCELL」について教えていただけますか?

ちょうどこのスタジオの音がようやく鳴るようになって、その精度を追い込んでいるときに発表されたのですぐにデモを依頼しました。ドルビー・アトモスのスピーカーは、120cmの高さ制限があるのであまり高さのない「POWERCELL」は、サイズ的にもよいと思ったんです。このスタジオを設計するにあたり、壁や床でおきる大きな振動のコントロールを意識して造ってきたのに対し、スピーカーのエンクロージャーの振動というのは小さな振動になります。スピーカーは壁や天井に取り付けたものもありますが、LCRのスピーカーはスタンドに載せていて、この微調整を進める中でインシュレーターなどのアクセサリーを再認識するところにきていました。

どんなインシュレーターも置くと大抵は、低音が締まる、すっきりするという傾向の印象がありますが、実際にデータを出しているところはなく、いわゆるオーディオにまつわる“オカルト”として扱われることも少なくないものです。この「POWERCELL」は、インパルス・レスポンスや残響時間のデータが表記されているのがよいと思いましたし、何よりそのデータがこのスタジオで目指している残響時間、低音のカーブになっているところが気になりました。とはいえ、スタジオを造ってきた中でのインシュレーターですからそれほど変わるものとは全く思っていなく、大きな期待もしていませんでした。





──実際に試して印象が変わることはありましたか?

試したときは驚きました。聴いてすぐにわかる違いもありましたが、何よりあからさまにスピーカー・エンクロージャーの振動が止まっていた。最初、LRのスピーカーから試して、すぐに「POWERCELL」を置いていないセンターの繋がりが悪いことが気になりました。ボーカルは、ハード・センターに置いて、LCR全体でなじませるんですが、センター・スピーカーだけが位相ズレを起こしているみたいになる。だましだまし作業をやっていましたが、5.1の映画ミックスのときにはもうダメだと、もう1セット追加して、ようやくセンターの繋がりがよくなった。その後、クラシックの仕事をした時には、弦の触れる瞬間の音がしっかり聞こえるようになっていることに気がつきました。
想像以上でした。部屋を造っていく中では、スピーカーそのものが持つ振動にはあまり意識がなかった。躯体の振動を止めるには物理的に大きな質量が必要になることもありますが、こんな小さなもので制御できている。リバーブ・タイムの設定なども正確にグリッドと同じレスポンスがスピーカーから聴けている。そんなバカな、と思ったんです、本当に。こんなものが世の中にあるとは知りませんでした。

あまりによかったのでサブ・ウーファーにも置いているんですが、明らかにベースラインとかが見えやすい。GOTCHさん(ASIAN KUNG-FU GENERATION)のソロ・アルバムの曲でちょうど17Hzのサブ・ベースを小さくON、OFFさせている曲があるんですが、そのあたりの周波数になると通常のスピーカーやヘッドフォンでは帯域として出てはいても音として捉えきれない。それが明確に聞こえるようになったのがうれしかったですし、ここでも驚きました。ウーファー自身の振動が止まるからなのか、振動が床に伝わらなくなったからなのか、なぜこんな小さな物体がスーパー・ローに作用できるのか正直よくわからない(笑)。けれどもモニターの歪みがなくなったことを実感、納得してしまったのでしょうがなくスタンドに置くスピーカーには全部置こうと導入したんです。今度、映画の仕事が入るときには両サイドのLW、RWのスピーカーにも入れると思います。

インシュレーターは、好みの世界のものだと思っていましたけど、これは好みの世界のものではない気がします。ただ、パッと聞いただけでは頭が更新するまで時間が掛かるので、人によっては、実際のミキシングで使って結果をみていかないと本当の良さに気がつけないような気もします。またモニターとして音楽そのものだけが聞ければよいエンジニアの立場にとっては魅力的なものですが、HI-FI用途には絶対に試さないことを推奨しますね。(笑)せっかくスピーカー・メーカーが魅力的な音を創ろうとエンクロージャーをうまく鳴らすことに精力を注いでいるのにこれを敷いてしまうと、それが止まって個体の魅力が半減してしまう。厳しい環境で楽しい音を作るのが僕らの仕事なのでよいですが、スピーカーの響きを愉しみたい人にはあまり向いていないものにも思えます。僕にとっての「POWERCELL」は、音楽スタジオの理想に合っているインシュレーターに思えますし、凝り固まった自分の頭のほぐしてくれたアイテムという意味でもとてもありがたいアコースティック・ツールなんです。






古賀健一

福岡県出身 2005年青葉台スタジオに入社。 2013年4月、青葉台スタジオとエンジニア契約。 2014年6月フリーランスとなり、上野にダビング可能なスタジオをオープン。 2019年 Xylomania Studio LLCを設立。2020年 Dolby Atmos 9.1.4ch のスタジオに改修。空間オーディオのMixからDolby Atoms でのLive 生配信も成功させる。