LEARN - S4X
プロデューサー / エンジニア 飯尾芳史
サウンド・エンジニア専用ヘッドフォン、「OLLO Audio S4X」ユーザーに製品の魅力と普段使っているリファレンス音源について訊く、第六回。世界的な成功を収めた伝説のテクノ・ユニット、Yellow Magic Orchestraを皮切りに、数々の国内トップ・アーティスト達の名盤、ヒット曲を手がけてきたプロデューサー / エンジニア、飯尾芳史氏にお話を伺いました。
驚きました。試してすぐに優勝!となりましたね。ミックスは、“オーディオ的に良いもの”を創るイメージがある一方、最初に楽器の音があって、それを良いと思う音で録って、その音を再生するために行うものとしてあります。「S4X」は、その楽器の音を創るときに本当によくて、バスドラム、タム、シンバルが揺れている感じなどがとても綺麗に自然に聴こえる。奥行きが良いバランスで聴けて、また位相が非常によいのでミックスには持ってこいのヘッドフォンです。スタジオに持って歩いていても評判が良く、うちのスタジオでも使っているエンジニアがいますよ、とよく話題に挙がります。
例えば70年代の音楽は楽器の音しかしません。80年代になると打ち込み、加工が積極的に行われていって、イージー・リスニング的な音というか、ボトムが強い感じの音だったり、聴き心地のいい音=オーディオ的みたいな感じに変わっていきました。圧縮されて奥行きのない、楽器の音がすごく近い今の音楽は、そんな音はしていないはずの低音がドーンときて、(笑)距離のある場所の音を聴いているはずなのに近く聞こえるので、音のバランスは“イビツ”です。でも、それがカッコよかったりすることもあるし、世の中的には、それがよい音とされることもあります。僕自身はあまりそれには興味がなくて、僕にとっては“楽器の音が良い”“ということが重要で、「S4X」はそれが見事によく聴こえるところが本当に素晴らしいと思っています。
僕は家で仕事をしない、というのをポリシーにしてエンジニアをやってきたんですが、キャリア40年経て遂にコロナの時世にリモート録音とかもやるようになりました。本当にやりたくなかったんですが、家で仕事をせざるを得ない状況からPro Toolsを買い換え、機材も一新して部屋をスタジオみたいに吸音して、家でも仕事ができるようにとやり始めたんです。「SHIZUKA」という吸音パネルが良くて、これを置いていくことである程度はスタジオみたいに家でできるようにはなったんですが、それでも家を構造から見直さないとディップは取りきれない。スタジオに来るとボーカルが真ん中に据わって自然に聴ける、今更ながらやっぱりスタジオはいいなあ、と思うようになりました。家をスタジオと全く同じ環境にすることはできないとしながらも、そんな状況から何か橋渡しになるものはないかとヘッドフォンを探し始めました。
ヘッドフォンにはたくさんのメーカー、機種がありますけど、自分がしっくりくるものとなるとなかなか無くて、大抵のものはハイとローの分離がキツイ。オープン・エアのものが良いかと見て回っても、低音がなさすぎてシャカシャカする、逆に低音がブンブンする、高級なものはレンジを広くとるためのハイが伸び過ぎててうるさい・・・、色々買って使ってもみたんですが、何に向かってデザインされたのかよくわからない印象のものが多かった。そういう意味で、「S4X」は、本当にちょうどよい塩梅があって試したときに「こういうのを待ってました!」という感じがありました。スタジオのニアフィールド・スピーカーの前ですっと、外しても本当に同じ音がするんです。これほど定位が良いヘッドフォンはなかったですね。
「S4X」は、造られて膨れているところがなく、あるがままの低音が聴ける。フラットという言い方が正しいかはわからないですが、トランジェントのスピード感が揃っているところがいいですね。例えば、スピーカーは、ツイーターとウーファーの応答の速さが揃うことを理想的としながらも現実には簡単ではなく、ツイーターを支えるウーファーの応答が合わないものほど攻撃的なサウンドのスピーカーになります。しかし、耳と言うか脳は、リミッター、ソロ、カットの機能が付いているので、実際にはない勝手に付いてくる低音とか、聴こえないはずの高域が聴こえるモニターであっても慣れると結構なんでも聴けてしまう。それが怖いところですけど、どこか尖っているものをずっと知らずに何時間も聴き続けていると脳に負担が掛かるというか、麻痺してそれがよく聴こえてくるようになってくる。特にヘッドフォンの場合、耳の逃げ場がないですから、知らずに脳を操作されているというのは結構なストレスになるんです。「S4X」は、6時間休みなく使っていたこともありますが全然疲れない。集中して作業しているときは何処から音が鳴っているかの意識がなく、ヘッドフォンでやっていたことを忘れるくらいです。位相が良く、トランジェントのスピード感が揃っていることも装着感などとは別なところで長時間使っても疲れない理由になっているような気がしています。僕にとっては、家とスタジオを繋ぐ頼みの綱なりました。
使っていませんでした。ラジカセは、モニター・スピーカーと切り替えを行なっていますが、これは、ハイ、ローが無くなっても音楽の印象が変わらないミックスを創るためです。ただ若いアーティストとの仕事で、ミックスが完成して「これから聴きますよ」というと、「これで(スピーカーで)聴くんですか?」って言われることがあります。(笑)スピーカーを使うことがないんですよね、時代なんだなと思います。そういう意味で、今は、ヘッドフォンでミックスをチェックすることにも意味はあるような気がしています。大抵のヘッドフォンは音が聴こえ過ぎてしまうので、例えば、フェンダー・ローズとかのステレオを昔ながらにLRに振りきると広がり過ぎて聴きづらいので、少しモノラルっぽく作ってあげる必要がある。そこにちょうど良い加減を作るには実際にヘッドフォンを聴きながらじゃないとできないですよね。これは、ヘッドフォン、イヤフォンで聴く若い人たちに聴きやすく作ってあげなければという、サービス業の側面もありますけど、若いときには自分も音楽のスタンダードを崩していった世代なので、若い世代の基準を認めない訳には行かないという思いもあります。僕も若い頃、「なんだ、そのマイクの立て方は!」と、先輩によく言われたものですが、「でも、こっちの方がいい感じに聞こえるんだよな・・・」なんてことは、各世代には必ずあるんです。僕はYMOの現場からエンジニアを始めましたから、あの時代にコンピューターに打ち込んだ音をやっていたわけです。当時、先輩達から「音楽は生で合わせて演奏するものだ」、「耳が痛い」、「ピコピコ言いやがって!」なんて言われていましたからね。(笑)時代とはそんなものです。老いたら子に従え、若い子たちに従って行くべきではないかと思っています。(笑)
なんでもせっかちになってきましたよね。音楽作品を作る上で一番怖いことは、正解を見せること。音楽に正解はないのに、最近は曲を作ったときのイメージ、アレンジしたときのイメージ、詩を書いたときのイメージの音源が、ポンっとデータと一緒に渡される。そういうものがあると会話がなくなってその通りの音にならなきゃとなる。昔のテープの巻き戻しや、テープ・チェンジの際に交わされる会話というのは重要で、アルバム全体のより深いイメージとか、それぞれの音楽のバックボーンが見えてきたりすることで、これもいいんじゃない?とお互いのリコメンドが起きていく。そんなプロセスが積み重なって初めてレコーディング作品は楽しいものになるんですけど、最初にサンプルを渡されると他の人たちは入ってこないでください、と言われているような感じで広がりにくい。できればスタジオ・ワークはゆとりを持ってやったほうがいいんですよね。ただこの時勢にそれを守ってやるとまた自分の宿題が増えていくんですが。(笑)不本意ですけど、テレワークをせざるを得ない現代の状況には、「S4X」に非常に重要な役割があるんです。
リファレンスは時代感のすり合わせが難しいので、定番的な音源というものは持っていなくて、自分が手がけた最新作を常に自分のリファレンスにしています。それを聴けば大体わかるんです。2021年の「矢野顕子」さんの新譜、「音楽はおくりもの」は、すごくバンドっぽい創りのもので、これは「S4X」を使うようになってからミックスしたものです。
もうひとつは「山弦」の最新作「TOKYO MUNCH」昔から山弦の作品は自分のリファレンスにしていることが多いんです。これは「マンチ」シリーズと呼んでいるカバー・アルバムで、山弦として16年ぶりの最新作です。オリジナルとマンチシリーズを交互に発売していて、オリジナルアルバムでは、スティーヴ・ガット、ニール・ラーセン、ビル・ペイン、タワー・オブ・パワーなどが参加しているセッション・アルバムもありますが、今回はメンバーふたりで演奏するマンチシリーズです。コロナの時代とあって、スタジオに入らず最新科学の力を使ってテレワークで作ろうというコンセプトでした。これはコロナ禍でのラジオ番組がきっかけになっていて、テレワークの録音は自宅にポンっとマイク置いておしまいというものが多かった中、ちゃんと作りたいよね、とやってみたらラジオ局の人がとても喜んでくれた。エンジニアというのはクオリティ・キープが仕事みたいなところがありますけど、エンジニアが入るだけでテレワークでもこんなにクオリティが違うというのがわかってもらえたんですよね。これも「S4X」が大活躍してくれました。
流行りの音楽をチェックすることもありますが、自分の作品以外だとやはり”楽器の音が良い”70年代あたりの音楽を聴くことが多いですね。その中であえてひとつだけ挙げると、「リッキー・リー・ジョーンズ」の「パイレーツ」。これまで、アナログ、デジタル、サンプラー、そしてPro Tools・・・、時代の変遷に対応していくことをそういうものだとしてやってきて、それぞれの時代で最高だと思って創られたものは今聴いてもかっこいいサウンド感があってどれが正しいとかはありません。けれども、純粋な音質という意味では、ステレオ文化が定着した70年代後期から80年代初期の音楽というのは、アナログ・レコーディングが行われている上で、ドルビー・ノイズ・リダクションがあって、磁気テープの質も上がってトラック間の転写も減り、レコーディング技術的にも一番完成されていると思います。これも本当に細かいところまで丁寧に作られていた時代の作品で好きなんですよ。
飯尾芳史
1960年12月5日 北九州市出身 A型 レコーディング・エンジニア/プロデューサー 1979年「アルファレコード」に入社し、キャリアをスタートさせる。「Yellow Magic Orchestra」「立花ハジメ」「戸川純」をはじめ「YENレーベル」全般のアーティストのレコーディングに多数関わる。1982年「細野晴臣」のソロアルバム「PHILHARMONY」で、エンジニアとしてデビュー。1983年、フリーランスとなり渡英。「トニー・ヴィスコンティ」のスタジオに籍を置き、エンジニアリング、プロデュース・ワークを学ぶ。帰国後、オフィス・インテンツィオを経て、1986年、藤井丈司氏と共に「株式会社トップ」、1999年「株式会社アップアップ」を設立する。そしてこれから新たな音楽制作へのアプローチを確立すべく、2010年9月、再びオフィス・インテンツィオ所属となる。「SLUG & SALT」のメンバーとしても活動中。 先のミュージシャンのほかにも、ムーンライダーズ、サディスティック・ミカ・バンド、 THE BEATNIKS、SKETCH SHOW、PUPA、META FIVE、The Dolphin Brothers、ゲルニカ、ピチカート・ファイヴ、坂本龍一、槇原敬之、布袋寅泰、矢野顕子+TIN PAN、藤井フミヤ、竹内まりや、高野寛、リアルフィッシュ、矢口博康、サロン・ミュージック、Shi-Shonen、PSY・S、シーナ&ロケッツ、佐藤博、Fairchild、フェイ・レイ、 The Birthday、たま、coba、コトリンゴ、藤原ヒロシ、クリスタル・ケイ、小坂忠、大滝詠一、松たか子、矢沢永吉、Smooth Ace、難波弘之、玲里、BOX他多数。 近年ではのん(能年玲奈)のプロデューサーとしても活躍中。取材協力:モウリアートワークスタジオ: mouri-aw.co.jp