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OLLO Audio S5X ユーザー・インタビュー Vol.02

レコーディング・エンジニア 櫻井繁郎(音響ハウス)


映画『THE FIRST SLAM DUNK』をはじめとする国内の先進イマーシブ・プロダクションを牽引する音響ハウス「第7スタジオ」。商業音楽スタジオとして国内初のイマーシブ・オーディオ対応スタジオとなるこの部屋に「S4X」と最新の「S5X」ヘッドフォンが標準バイノーラル・モニターとして導入されています。「第7スタジオ」のコンセプトとイマーシブ制作におけるヘッドフォンの活用方法などを実際に立体音響作品に携わる音響ハウスのレコーディング・エンジニア、櫻井繁郎氏に伺いました。



──どのようにしてイマーシブ・オーディオ対応のスタジオを作られましたか?

音響ハウスでイマーシブの話が挙がる頃、ポスト・プロダクションには既に10社くらいドルビー・アトモスに対応するスタジオがありましたが、音楽スタジオにおいてはいくつかの独立スタジオさん達が先行していたものの、いわゆる商業音楽スタジオにはまだひとつもありませんでした。イマーシブ・オーディオの流れが来ると言われていましたが、正直、当初は半信半疑で、アップル・ミュージックでイマーシブのタイトルが一気にリリースされたことをきっかけに、ようやく実態があるものとしてスタジオ作りに動きだしました。

イマーシブ・オーディオに対応させた「第7スタジオ」は、もともとマスタリング・ルームでした。音響ハウスには、この部屋とは別に5.1サラウンドに対応する「第3スタジオ」があったので、当初はその部屋をアップデートさせる形を考えていました。しかし空間オーディオをやるにあたっては建物の構造的な問題でハイト・スピーカーの性能を満たすかわからない、費用も嵩むだろうということからマスタリング・ルームであった「第7スタジオ」を改装することにしました。結果的にこの判断は正解で、この部屋自体が非常にイマーシブを組むのに適していたため思った程には試行錯誤なく進めることができました。この部屋は、5.1サラウンドにも対応できるように作っていたので元々マスタリング・ルームとしては広く、天井の高さもあることからマルチ・スピーカーを当て嵌めやすかった。またここは潤沢な予算が組めた時代に作られた凝った造りの部屋で、部屋そのもののクオリティが非常に高く音響調整に時間をとられることもほとんどありませんでした。改装らしい改装もなくいち早くイマーシブ・ルームをオープンできたのはこの部屋に恵まれていたことが何より大きかったです。





──「第7スタジオ」のモニター・スピーカーはどのように選定されましたか?

この部屋はイマーシブだけでなく、2chステレオのマスタリングも行うスタジオになるため、マスタリング・エンジニアとも相談して“どのスピーカーならばマスタリングまで行えるか”という視点も考慮に入れて選考しました。選定は音響ハウスのエンジニアほぼ全員で入念に行い、最終的にパッシブのモニター・スピーカー「Amphion」で組むことにしました。ステレオのミックス/マスタリングと共用するLRの「Two18」には、「Bass Two 25」を追加できるようにしており、またセンタースピーカーの下にはマルチで使う際のサブ・ウーファー「Flex Bass 25」を配置して、それぞれのケースに対応できるように組んであります。


──DSPアライメントは何か入れて調整していますか?

DSPアライメントは便利ですが、DSP処理を入れることで失われるものもあるので、この部屋では「Avid Matrix」内部のSPQとディレイだけで調整しています。ここが先の“部屋のクオリティ”とリンクするところで、この部屋は規定通りに9.1.4スピーカーを配置していくだけでイマーシブ・オーディオの性能を得ることができました。普通の部屋であればDSP補正なしに均一なイマーシブ環境を組むことはあり得ないほどに難しく、スピーカーを並べるだけでは3Dパンがまともに反応してくれる環境になりません。


──“DSP処理を入れることで失われるもの”とはどのような感じなのでしょうか?

少し前の話ですが、「第1スタジオ」でもメイン・モニターの音の位相、F特をもっと揃えたいなどの理由からDSP補正のプロセッサーを入れてみたことがあります。確かに音は揃うようになるものの膜が一枚入ったような感じで、レンジは狭くコンプ掛かったような音になり、音そのものの表現力は格段に下がってしまいました。音響ハウスのエンジニア達は特にそれを嫌う傾向があって、今回の「第7スタジオ」においてもDSPプロセッサーやDSP補正機能があるスピーカーなども試していますが、やはりアレルギーが出てしまいました。映画や映像があるライブ作品などではあまり気になりませんが、音だけに集中するイマーシブ・オーディオではストレスが溜まります。もちろんDSP補正を使うことでより追い込める側面はあるので、どちらかが正解というものではありませんけれども、音響ハウスでは伝統のピュア・オーディオで音楽専用のイマーシブ・スタジオを作ることができたということです。パッシブ・モニターの「Amphion」でイマーシブをしっかり組めていることに驚かれる方もいらっしゃいますし、直感的に“いい空間ですね”といただくこともあります。ステレオからイマーシブまでシームレスに繋がるこのオーガニックな仕様は「第7スタジオ」の大きな特徴になりましたし、この結果が得られたことはとても幸運だったと思います。





──設備されているOLLOヘッドフォンについて教えていただけますか?

この部屋では、バイノーラル・モニター用に「OLLO Audio S5X」ヘッドフォンを常設しています。このヘッドフォンは空間オーディオが聴きやすく、またスピーカーとの違和感が非常に少ないことが挙げられます。空気を伝ってくる音に近い印象のヘッドフォンなので、マルチ・スピーカーを聴いてからバイノーラル・ヘッドフォンに移っても差がなく、ミックスに集中しているときにはヘッドフォンで聴いているのか、スピーカーで聴いているのかを確認してしまうほどです。適切な処理が行われるとスピーカーとヘッドフォンを切り替えてイコールになりやすく、逆に無理な処理をしていると音が違って聞こえてくるのでミックスの状態がよくわかります。ちょうどステレオでニア・フィールドとラージ・スピーカーを切り替えるような感覚で、スピーカーとヘッドフォンで同じく聞けるように持っていくとミックスが上手く収まってくれます。





──「S5X」と「S4X」の違いはどのように考えていますか?

「S5X」は、後発モデルなだけあって「S4X」と比べてもミッドレンジが圧倒的にクリアで、周波数特性の良さと解像度の高さからより空間が把握できる印象があります。空間オーディオにどちらかを選ぶとなると「S5X」の方がよりミックスを詰めていけると思います。またハウジングが「S4X」よりも大きいからか装着感も「S4X」より軽い印象があって長時間の作業にも向いています。従来の「S4X」は、タイトなミッド・ローが印象的なミッドレンジ・モニターで、これはこれでミックスがやりやすく個人的にも好きなモデルです。それぞれに方向性はありますが、どちらも大きくは「OLLO Audio」の世界感の中にあるので好みやミックスの局面で使い分けることもできると思います。


──実際のイマーシブ制作のワークフローにヘッドフォンをどのように使われていますか?

イマーシブ・オーディオは、ドルビーアトモス・レンダラーにある2chバイノーラル・モードでヘッドフォン・モニタリングが行えます。イマーシブに対応するスタジオはこの部屋だけですので、ミックスの仕込みは必ずヘッドフォンを使って事前に行います。「S5X」がリリースされるより前から「S4X」をバイノーラル・モニターにしてレベル調整やEQ補正を行っていて、実際はかなりのところまでミックスを詰めていくことができます。この部屋が使えない時には外部のスタジオで作業することもありますが、その部屋の特性をすぐに把握ができない場合には最終的にスピーカーに鳴らすまでは自分の「S4X」だけでミックスした方がやり慣れた状態に持っていきやすく、マルチ・スピーカーへの展開は、その後の確認と調整のみということも少なくありませんでした。


──バイノーラル・ダウンミックスでの聞こえ方を確認するためだけのツールではないようですね。

もちろんドルビー・アトモスの納品にはバイノーラル・ダウンミックスされた際のモード設定を行うためにヘッドフォンが必要になります。一方、実際の立体音響制作におけるヘッドフォンというのは主要なミキシング・ツールになりますから、定位感やリバーブを適切に再現できる表現力を持つヘッドフォン/バイノーラル・モニターの存在はとても重要なってきます。音響ハウスは「SONY 900ST」と「JVC HA-MX100V」をレコーディング・モニターとして常設していますが、空間オーディオにはより空間がわかりやすい実践的なモデルということで「第7スタジオ」には「OLLO Audio S5X」を常設しています。音楽のミックスではコンプのかかり具合などの僅かな差を表現できるモニターがなければ何をやっているのかわからなくなりますから、これらをDSP補正を介さず忠実に再現できる「S5X」には価値があります。ステレオ・ミックスにおいても、いまやスタジオ・モニターだけでなくヘッドフォンでも聴いて完成度を上げていくのが主流ですし、イマーシブ・オーディオにおいてはその比重がより大きいということです。





──これからイマーシブ・プロダクションに取り組まれる方に何かアドバイスはありますか?

まずは一度、空間オーディオを実際に体験していただきたいですね。イマーシブ・オーディオは、ドルビーアトモス以外にもフォーマットや規格がいくつかあるため、言葉や名称だけを追うと難しいもの、面倒なものに感じられることもよくわかります。しかし極端には「S5X」を使って家でバイノーラル・ミックスしたものを「第7スタジオ」で広げて調整していくだけで作ることができますし、このスタジオもそういう使い方をしていただきたいと思っています。これまで5.1サラウンドが一般家庭にそこまで広まらなかった理由のひとつに部屋にスピーカーを並べなければリスニング環境を確保できないということがありました。今回の立体音響というのはイヤホン/ヘッドフォンがあれば誰でも簡単に聴ける環境を確保できるという意味で遥かに可能性が広がっていると考えています。イマーシブ・オーディオであることに意義を感じられる心地よい作品も増えてきていますから、音楽の新しい楽しみ方のひとつとして気負わずチャレンジしてみてほしいですね。




櫻井繁郎

1992年音響ハウス入社。音響ハウス スタジオで録音するアーティストや多岐に渡るプロジェクト(CM、GAME、映画)に参加。ポスプロも併設している環境から様々な経験を積んでいく。現在は多くの音楽作品にエンジニアとして携わりながら、フィールド、アフレコ、イベント等、音に関係する多種多様な仕事を幅広く手掛けている。

音響ハウス : https://www.onkio.co.jp/